私たちは既に全てを持っている
今日のヨガのテーマは、「無事」でした。
私たちは普段、「無事」という言葉をよく使いますよね。
問題がないとか、変りがないことを指して使っていますが、
禅では、もっと深い意味があります。
無事=安らぎの境地
私たちは、自分の足りないことに目を向ける傾向にあります。
人間は1日に6万回思考していると言われ、
なんと、その8割がネガティブに傾くそうです。
放っておくと、私たちはいつも何かを考え、そして自分や他人にダメ出しする
性質があるのですね…
私も心当たりがあります。
禅でいう「無事」とは、
外に向かって求める心を捨て去った境地のこと。
といっても、より良くあろうとすることに無関心であれということではないです。
禅でいう「無事」とは、求めなくてもよいことに気づいた安らぎの境地。
求めなくても、私たちはすでにすべてを持っていることに気づくこと。
幸せになりたい、悟りを得たいなどと思い描き、
それを自分の外にいつも追い求めることを戒める言葉です。
求める心を捨てて、自分の心を見つめるとき、
大いなるものに生かされている自分、その至福に気が付くことができる、
という教えです。
これを読んだとき、
ヨガの教えと一緒だなと思いました。
仏教、禅、マインドフルネス、ヨガ、心理学・・・など
アプローチ方法は違っても、本質は同じだなと思います。
ということで、今日のヨガクラスのテーマは、「無事」。
出来ないことに目を向けるのではなく、
自分の持っているものに目を向けて、
自分が生かされていることにただただ感謝する時間となりました。