自分がここにいるという奇跡
こんにちは。
ヨガって、マットの上でポーズをとる運動のことでしょ?
と思っているかもしれませんが、
実は、インド(インダス文明)5000年の歴史の中で育まれた
先人たちの智慧、深い哲学なんです。
ヨガって…なに?
ヨガとは、サンスクリット語の”ユジュ”を語源とした言葉で、
”つなぐ” 結ぶ”という意味です。
外側(表層)の自分と、内側の本来の自分、
こころと、身体、
自分と、自分を取り巻く大いなる世界、
すべての調和を目指す道のこと、と言えるのではないでしょうか。
その境地に至る実践方法が、
ポーズ(アーサナ)、瞑想などを含む8つの八支則というものです。
そのため、ポーズをとることは、ヨガの中の一部分でしかありません。
ヨガの八支則には、
”ヤマ”という禁戒(慎むべきことの心得)や、
”ニヤマ”という勧戒(積極的に取り組むべきことの心得)があります。
その”ニヤマ”の中の一つ「イーシュヴァラ・プラニダーナ」の考え方が
すごく面白いというか、驚くほど自分の中にストンと落ちてきたので、
書いてみたいと思います。
大いなるものへの祈り
サンスクリット語で、Isvara-Pranidhana、
和訳すると、「自在神への祈念」
さらにわからない…
わからない上に、なんか怪しい(笑)
色々な解釈がありますが、
「すべての源、すべてを司っている大いなるものへの祈り」
いのちを司っているもの、宇宙を動かしているもの、
そうした言葉では説明できないし、見ることもできない何か大きなもの、
人間が”神”と呼んでいるそうした大いなるものに、自分をゆだねること。
神って言われてもねぇ…という感じ。
私も同感です。
でも、例えば、日本なら、
昔から八百万の神がいて、山にも、川にも、木にも、食べ物にも、
神が宿っている。と日本人は思っていましたよね。
それこそ、トイレにも(笑)、台所にも。
お正月には初日の出(太陽)に手を合わせるし、
富士山に何か神々しいものを感じる。
そういわれると、「あ、なんか分かる」って思いますよね。
神は、そこら中に存在しているもので、
逆に、神が宿っていないものなど、この世にはないのかもしれません。
例えば、母から私が生まれたこと、
例えば、心臓が毎日動いていること、
例えば、朝日が美しいと思うこと、
例えば、思い通りにいかない人生に途方に暮れること。
こうしたすべてのことに、神の力が宿っている。
そうしたことを感じて、自分がいまここにいる、という奇跡を
ただただ味わうこと。
感謝すること。
それが、ヨガでいう「イーシュヴァラ・プラニダーナ」なのかなと
私は思っています。